2017年04月06日

なき未知の探求によ


ラヴクラフト全集第五巻にあたる本書には、後にダーレスによってクトゥルー神話の母胎とされるにいたった作品を中心に収録した。ラヴクラフトの作品がどう読みかえられ、どのようにクトゥルー神話として成立するにいたったかは、青心社の『クトゥルー神話事典』にゆずるとして、既に本全集に収録されている『狂気の山脈にて』および『時間からの影』から明らかなように、ラヴクラフトが最終的に目指したものが、自らの諸作品を関連づける、壮大な幻想宇宙年代記とでもいうべきものであったことは指摘しておかなければなるまい。たとえば早くも一九二七年に、〈ウィアード・テイルズ〉の編集長ファーンズワス・ライトに宛てた七月五日付の書簡で、ラヴクラフトは自作の『クルウルウの呼び声』にふれ、「名前だけの怪奇さを求め、既知のものや馴染《なじみ》深いものにしがみついて離れない」読者をあげつらい、自分の書くものはそうした読者の要望にしたがうものではないとして、こう記している。
 
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さて、わたしの小説のすべては、人間一般のならわし安利傳銷、主張、感情が、広大な宇宙全体においては、何の意味も有効性ももたないという根本的な前提に基づいています。わたしにとって、人間の姿――そして局所的な人間の感情や様態や規範――が、他の世界や他の宇宙に本来備わっているものとして描かれる小説は、幼稚以外の何物でもありません。時間であれ、空間であれ、次元であれ、真の外在性の本質に達するためには、有機生命、善と悪、愛と憎、そして人類と呼ばれるとるにたらぬはかない種族の限定的な属性が、すべて存在するなどということを忘れ去らなければならないのです。人間の性質をおびるものは、人間が見るものや、人間である登場人物だけに限定されなければなりません。これらは(安っぽいロマンティシズムではなくして)徹底したリアリズムでもってあつかう必要がありますが、果のない慄然《りつぜん》たる未知の領域――影のつどう外界――に乗りだすときには、忘れることなくその戸口において、人間性というもの――そして地球中心の考えかた――をふりすてなければならないのです。
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 ラヴクラフトの意気ごみのほどを如実に物語るこの信条告白によっても、ラヴクラフトの諸作品が、あまりにも人間中心的な善悪二元論に立脚するダーレスのクトゥルー神話と、厳然たる一線を画するものであることは明らかだろう。すなわちラヴクラフトは、人間の把握する自然を脱却した超自然の叙述家という立場を自らに課し、自然から超自然への移行にともなう衝撃的な恐怖を、人間の視点ではなくして超越的な視点に基づき、ゆるぎのないリアリズムでもって描ききる方法論を確立していたわけである。
 そしてラヴクラフトを特色づけるこの卓越した方法論は、自ら選んだ信条を貫徹するためにも、一つの重大な問題を克服しなければならないものだった。あくり、さまざまな作品を創造しつつも、それら作品は人間が読むものとして提出される以上、語り手を人間にせざるをえないため、あくまでも人間の視点から解釈したものとして記されなければならず、小説の成立にかかわるこのリアリズムを、小説の執筆過程において、人間性を断固拒否する超越的な視点に基づくリアリズムと、どう折合をつけるかという問題である。
 これを解決するにあたってラヴクラフトは、丹念に事実や暗示の積み重ねをおこなうことで超越的な視点を維持するかたわら、語り手ないしは登場人物に疑惑をいだかせることで人間の視点を示し、両者のせめぎあいから読者に事実の確認をせまるという手法を自家|薬籠《やくろう》中のものとした。この手法はときとして、ラヴクラフトの完全主義がうらみとなって、小説の構造が複雑になり、流れがまわりくどいものになるきらいはあるものの、語り手ないしは登場人物の遅疑|逡巡《しゅんじゅん》こそが、いつしか超越的な視点からの全体像をうかびあがらせるという、絶妙な力業がなされている点を見逃してはならない。  


Posted by carrie5566 at 12:44Comments(0)
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